秋内 常良のブログ

【作家】秋内 常良(あきない つねよし)のブログです。

2019年04月

美味しい餃子の向こうに深遠なる人生の営みが。

2019-04-13 14.13.29

「成田にとても美味しい餃子を出す店があるから行こう」と
友人からお誘いを受けて、一路車で成田まで行ってきた。

「14時にはなくなっちゃうから早めに行かないとね」
と言われていたにも関わらず、12時あたりに東京を出るという、
スケジュールになってしまい、焦る焦る。

もしなかったらどうしようと若干の不安を抱えながらも、
着いた先は、あの成田屋でも有名な成田山新勝寺のお膝元。
正門からほど近くにある、
まさに地元に愛されていそうな昭和な佇まいをした、
「仁康」
見た目からすでに美味しさがプンプン漂っている感じだ。

2019-04-13 13.59.17

朝食も抜いてきたのに加え、すでに14時近いので、お腹はペコペコ。

すぐに入ると、店主が友人に笑顔で声をかけてくれました。

話が伝わっていたのか、店主は餃子を確保しておいてくれたらしく、
「餃子焼いちゃうよ」
と早速準備に取り掛かってくれます。

「ここはチャーシューメンも美味しいからさ」
友人の言葉に一も二もなく全力で頷き、待つこと数分。

やってきました!

2019-04-13 14.12.33

いやあ、間違いない外見!
もちろん味も想像通り、いや、想像通りの中の想像以上!
ラーメンは進化せど、醤油ラーメンといえば、この味だ。
美味しい。
箸が止まらない。

そして、もちろん今日の主役の餃子も登場。

2019-04-13 14.14.30

どうですかこの見た目。

そして食感がまた初めての感覚。

一言で言えば、尋常ならざる「モチモチ感」。
外はカリカリ、中は野菜たっぷり、ニンニクバッチリ、
そして、皮が弾力満点モッチモチだ!

一口でなんてとてもいけない。
一つが大きめのおいなりさんぐらいあるのだ。

頬張るたびに肉汁が口の中で溢れかえる。
美味しい。
すぐにお腹いっぱいになるかと思いきや、
それがそれが。
野菜たっぷりのためか、どんどん入る。

二人で、
チャーシューメン、
チャーハン、
オムライス、
餃子12個
をあっという間に平らげた。

2019-04-13 14.13.06

この店はじつは、
全く違う業界で働いていた今の店主が、
その味に惚れ込んで、もう高齢で店を閉じようとしていた前の店主に頼み込んで味を継いだという経緯がある。
それがなければ、終わっていたかもしれない店なのだ。

「だって美味いでしょ! これが餃子だよほんとに!」
「いいでしょこの店! こういうのは残さないとダメでしょ!」

豪快に笑いながらそう言う店主。

我々も激しく首を縦に振った。
まさにそうだ。
小ぎれいな店ばかりが残る世界は、
どこか上っ面のような気がするのだ。

進化し、ソフィストケートされていけば、
どんどんロボットに近づくような気がしてならない。

人間とはなんぞや。

餃子を食べながら、思わず壮大なことを考えてしまった。

これも美味しい餃子だからこそなし得る技だろう。


次から次へくる客に対応しながら、
汗を垂らしてフライパンを振るう店主の姿を、
後ろの方で座りながら穏やかに見ている前の店主がいた。

無事にこの味が継承されて本当に良かった。

満腹のお腹をさすりながら、
その素晴らしい人生の物語の断片を見ていた。

美味しい餃子は私たちを穏やかに、幸せに、してくれる。

餃子万歳。

餃子好きな人はぜひ!

「仁康」
https://tabelog.com/chiba/A1204/A120401/12003630/
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2019-04-13 15.55.37

神秘的な森には凛とした空気が流れていました。

それなのに考えることは、何を食べようかなということ。

なかなか、欲を捨てることは難しい(苦笑)

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美しいものに囲まれたいと最近は特に思うようになりましたが、なかなかそれをできないのが人生難しいところですよね。それにしても、猫ちゃん可愛い。

2014-01-12 15.33.34

さて、言葉遣いの話でした。可愛い猫がいるとついそちらに目がいってしまいます。困ったものです。猫がいるだけで物事がなかなか進みにくい。参った参った。

至る所で目にする文章。
特に情報を集めているツイッターでは140字という制限があるため、皆さん端的な表現であーだこーだと言っています。

ですが、その端的な表現というのは下手をすると、短絡的な表現となってしまうことが多々あるように思うんですが、どうでしょう。

偉そうに言うわけではありませんが(というかこれを書いている時点ですでに偉そうになってしまっているかもしれませんがそんな気持ちはサラサラありませんので)、より端的に言葉で表現することは言葉を尽くして表現するより数段難しいことだと思うんですよね。

それにもかかわらず、ついライブ感で書きたいと思うから、感情に任せて、よく練らないで、思うがままにさらに短く書いてしまう。そうなるとどういう表現が多くなるかというと……

「クソ」だの「最低」だの「神」だのと、見るも無残な汚い言葉たちが溢れてしまいました。

言葉遣いは人の行動も形作るとは昔から言われていることですが、まさしく、最初はそんな意図では書いていないつもりでも、それを続けていくうちに、そういう短絡的な考え方になってしまう。

しかも恐ろしいことにそれに自分では気づかないのです。周りも(この場合は読んでいるツイッターの中の情報たちの言葉遣いも)荒れている状態が当たり前になっているので、自分ではそれが正しいというか当たり前というか、当然でしょというぐらいになってしまう。

でも、それが回り回って、自分や社会の行動に影響を与えていくという恐ろしさ。

怖いですねぇ。

言葉遣いが汚いと考え方も汚くなる。
それなのに、その汚い言葉遣いで、もっと美しくなりたい未来を語っている。
それではきっと美しい未来には近づけないでしょうね。

きれいな言葉遣いから世界は美しくなる。
これを信じて、きれいな言葉遣いに気をつけていきたい。


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今年はお花見が長くできるような感じで、桜にちょうど良い気候が続いていますね。桜が長く見られて幸せな気持ちです。本当に美しく可憐という言葉がまさに当てはまる花ですよね。

そんな中、どうやったら家具や家の中に関して、憧れの感性を手に入れられるのか?
これに悩む毎日を送っています。

というのも、何かを生み出すこと以外になかなか意識が向かずに、空間が殺風景になりがちだからです。もちろん殺風景が好きかと訊かれれば、「いえ、好きではありません」と答えるくらいなのですが、書いたり編集したりするときにそれが気になるか? と訊かれれば「気になりません」と答えてしまう自分がいることに気づいてはいます。

つまり、机と椅子とパソコンがあれば、普通に書ける、編集できる状態であれば、結構そのままの状態で仕事ができてしまうわけです。

でも、アンティーク家具に囲まれた空間、
自然を見え、自然に囲まれた空間、
はとても好きなのです。

家具やインテリアに関する雑誌なんかを読むときにも、
そういう写真に目が止まり、しばらく眺めてしまうほどです。

もちろん憧れているだけでは前に進まないので、
ガーデニングショップやアンティークショプに行ったりもします。

でも、行った先で悩むのです。

「これ一つ買ったところで、理想のようにはならないよなぁ……」
「というか、どれを買ったらいいのか、決め手がないなぁ……」
「いざ買うとなると、バッチリ理想の形のものってないなぁ……」

その結果、どういう結論になるかというと、

「とりあえず、ペンディングにしておいて、次にまた考えよう」

そして、人生の貴重な時間は過ぎていってしまうという……

「これではダメだ!」

とまた思っている気持ちの良い朝でございます。

皆さんはどうでしょうか?
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