秋内 常良のブログ

【作家】秋内 常良(あきない つねよし)のブログです。

2019年05月

高い場所から街を見るといつだって、
「人間って小さい存在だな」
と感傷的になりますが、
エレベーターに乗った時点ですぐに忘れて、
地上に降りる頃にはもう、
「おお、あの人可愛いな」
などとすぐに欲まみれになるので、
結局どこにいたって、悩みは尽きぬ存在なのです。
2019-05-29 12.44.28

つい先日も、
この人はお金もたんまりあるし、
周りに友人もたくさんいるし、
いつでも楽しく笑顔でいるので、
悩みなんかないだろうという人から、
思わぬ悩みを打ち明けられて、
驚いたことありました。

月並みな言い方ですが、
みんなそれぞれにそれぞれの悩みを持っているわけです。

じゃあ、その悩みをどう解決するか。

そこにも人それぞれやり方があるわけで、
ある人は、趣味に没頭したり、
ある人は、とにかく体を動かして汗をかいたり、
ある人は、夢中になって働いたり、
ある人は、メンターに相談に行ったり……と、
それは千差万別あるわけです。

そう考えると、
全てにおいて、
自分に合ったものを見つける作業が、
自分の人生を豊かにするただ1つの道だなと、
思うわけです。

もちろん、
本やインターネットから、
アドバイスを仕入れるのもいいし、
誰かに教えを請うのももちろんいい。

でも、そこで、
実際に自分の頭と体で体験してみて、
そこで自分に何度も問いかけて、
本当に自分にとってそれはいいのかを、
何度も問いかけ続けて、
自分なりのものを見つけていくしかないと。

その幹を太くする作業を、
幾つになってもやり続けるしかないと。

少し効果が出てきたお腹周りを見ながら、
ふと考えた日でした。

消費エネルギー>摂取エネルギー
この単純な計算式を実行するだけで、
時間はかかりますが、
本当に減るという事実は頼もしいです。

ただし、腹の脂肪は最後まで、
居座りますが……。
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運動会が様変わりしていますね。

undoukai


競技内容はそれほど変わってないですが、
なにやら昼ご飯を食べないで、
午前中だけで終わってしまう学校もあるそうです。

むむ。時代の変遷をまさに目にしているような気分です。

まず最近の運動会は5月に行われる学校が、
多くなったように思いますが、どうでしょう。

昔は秋だったような気が……。
体育の日が10月にあるので、
その近辺だったような気がします。

なぜ、春に移動したのでしょうか。

サクッとネットで見てみると、
涼しい時期に練習できるやら、
行事の分散化やら、
いろいろと理由があるようです。

なるほど。
時代は変わりますね。

にしても、お弁当食べないで終わる運動会は……
ちょっと寂しいなぁ。

運動して、青空のもと食べる、
あのおにぎりが美味しいんですよ。
ウインナーもブロッコリーも、
ゆで卵も、麦茶も、
みんなで車座で食べるお弁当が楽しみだったんです。

昔は、家族で食べて、
親が仕事で来れない子供がいたら、
近所の親たちが、
「うちで食べなさい」なんて言って、
どんどん世話を焼いていたものです。

一時期、教室に入って食べる、
なんていう無味乾燥な方法も取られましたが、
それもすぐに終わったように思います。

なんでも合理的にすればいいやってなっても、
人間は反抗するわけです。

だって、情緒がないですから。

周りのお弁当をチラチラ横目で見ると、
買ってきたようなおにぎりなどで済ましている人も、
ちらほら見えました。

こういうところから、
文化も変わっていくんですね。

それにしても、紫外線バリバリに降り注ぐ、
激アツ五月の運動会は、
体力的に応えます……。

あと最近は保護者リレーがなくなっていましたが、
他の地域ではあるのかな。

まあ、保護者リレーは、
普段運動しないお父さんが張り切ってしまい、
いろいろ問題が起こってしまいがちだから、
ってことかもしれませんが。

でも、あの張り切る感じこそが、
面白くてよかったんですけどね〜。

何より、運動会が終わってからも、
楽しく笑える思い出エピソードとして、
それぞれの家庭で、
話題に上るからいいのです。
(本人には申し訳ないですが)

いつまでたっても、
「あん時、あのお父さんのこけっぷり、
 最高だったわよね〜!」
なんて具合に、人々の記憶に残る。
それが最高なんです。

エピソードが生まれないような、
無難なことやものは、
面白くないし、すぐに忘れてしまいますね。

肝に命じなければ。
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ここ最近、公共の場所で、
「ちょっとそれってどうなの?」
と感じることが多くなりました。

これって歳のせいでしょうか、
それとも、ご家庭での教育のせいでしょうか。

みなさんどんなふうに思っているんでしょう。
昨日も「なんだかなぁ」ということがありました。

neco

まず電車の中。
小学生の集団がいたので、
乗った瞬間に、
「あぁ、嫌なところに乗ってしまったなぁ」
と頭をよぎったのですが、
まあ電車の中だし、
そこまでうるさくはしないだろうと、
たかを括っていたのですが、
その期待はもろくも崩れ去りました。

なんと先生が注意をしないのです。
もうビックリです。
(もちろんする先生も世間にはいると思います。はい)

声は出しまくりですし、
車内を動き回りまくりですし、
お菓子を食べまくりです。
(しかも先生が子供あげている始末)

さらには、
体当たりしてきても謝りませんし、
ご高齢の方が乗車してきても誰も席を譲りません。
もうビックリでした。

一応申し上げておくと、
私は子供が大好きで、
元気に遊んでいる声などを聞くと、
嬉しくなってくるたちですが、
電車内は別です。

やはり大人である先生がビシッと、
「車内は公共の場なんだから静かにしなさい!」
と言って欲しいなぁと、
心の底から思います。

そして話は別の場所に移動して続きます。

その日はそれで終わりでなかったのが、
また残念でして、
その後カフェに入ったんです。

そこで隣の席に、
男の子を連れたお父さんとお母さんが、
座りました。

どうやらどこかに遊びに行った帰りで、
みなさんお疲れの様子。
特に子供は疲れているのか、
席に着いた時点で、いきなり、
ソファシートに上向きにゴロンと寝転びました。

隣にいる私は、
「はしたないなぁ」と思うと同時に、
「もちろん注意するんだろうな」と、
思いながら資料を読んでいました。

するとどうでしょう。

まったく注意しないのです。

またまたビックリです。

しかもゴロンと横になった子供の足が、
隣にいる私の方へ投げ出されているのです。

にも関わらず注意をしないのです。

今の親ってあれを注意しない生き物なんでしょうか。
(もちろん世間には注意する親がいることも知っています。はい)

そこへきて、男の子はさらに、
新たな行動をやり始めました。

なんと、テーブルに、
足を乗せたのです。
もう衝撃ですよ。

しかもですよ。
もうここまで書けばお察しだと思いますが、
そうです。

まったく注意をしないのです。

もうビックリを通り越して、
悲しくなってきましたよ。

どこの誰ですか、
日本人が素晴らしいとか言っているのは。

さすがに驚きすぎたので、
そのテーブルに乗った足をつい凝視してしまったら、
さすがに母親が気づき、
子供に注意しました。

その注意の仕方にまたビックリです。

「ほら、テーブルが汚れるから、おろして」

だったんです。
しかも猫なで声で。

「おろして?」

もうビックリです。

母親が子供にお願いをしていたのです。
猫撫で声で。

目玉が飛び出るかと思いました。

もちろん子供はすぐにはおろしません。

だって、あれでは親のことをナメてますからね。

親も親でそれで終わりです。
また違う話題の話を始めています。

あまりの衝撃で、
立ちくらみをおこしそうになりました。
座っていたのに。

きっと私の目玉が飛び出ていたのでしょう。

さすがに2回目に足をまた乗せた時には、
母親が手でおろしていました。
「おろしてね」
と猫なで声で言って……。

今の家庭での教育ってどうなってるんだろう……。

結構真剣に考えてしまいました。
これってボディブローのように、
何十年後に効いてくるんですよ。
彼が大人になった頃に。

ここまで気づいた方はいるかと思いますが、
さらにビックリしたのが、
この一連の流れの中で、
父親が一度も怒らなかったことでした。

凄まじい世界に突入していることを、
再確認した次第です。
フゥ……。
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何か新しいことを始めるとき、
何かこれだと思うことを獲得したいとき、
自分に課していることがあります。
それは……

nanhyaku


「100回やること」

です。

これまでの経験から言って、
どんなことでも100回行うと、
なんとなく自分で感覚がわかったり、
自分なりの見え方が備わってくるからです。

例えば、
筋トレをやろうとしたら、
とにかく100回やってみる。

体がなかなか大きくならないとか、
頑張っているのに痩せないとか、
色々文句も出てきますが、
そんなことは無視して、
とにかく100回やってみるわけです。

週に2回だとしたら、
月に10回で、10ヶ月ですね。

これを行うとどうなるか、
確実に体は変わります。
スタート時点から見ると、
いつの間にか遠くに来ていることを感じます。

例えば、株価の流れを見るときも、
100日間の定点観測を行う。

同じ店に100回通ってみる。
文章を100回書いてみる。
同じ食べ物を100回食べてみる。

対象はなんでもいい。
とにかく100回という回数をこなしてみる。

すると不思議なもので、
100回というまとまった回数をこなすと、
人はその分野に関して、
ある程度の嗅覚を獲得できるのです。

株価の流れがわかるようになる、
店の味の少しの違いもわかるようになる、
文章が次第に上手になる、
などなど、
対象に関して一家言持てるようになるわけです。

ほんまかいな?
と思うかもしれませんが、
これは本当なので、ぜひ試してみてください。

私も今そのチャレンジをしてまして。
それは何かと言いますと、
このブログの記事ですね(苦笑)

まだまだ道は遠いですが、
それでもちょこちょこ登っている段階です。
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先日歩いていた時に遭遇した美しい猫。
しなやかな歩きがたまりません。
どうにかして猫に関わる仕事をしたい。
いや、単に猫と戯れていたいだけかもしれません。
どちらでしょう。
いずれにしろ、猫を見ているだけで、
ニヤニヤしてしまう単純な人間です。

cat

先日、打ち合わせの合間に立ち寄った本屋で、
驚異的な文章を見かけました。

お腹周りの脂肪をなくすには、
といった分類の本棚を一通り眺め、
その中の一冊を手に取り、読み始めると、
すぐにその文章が目に飛び込んできたのです。
それは、

「お茶が痩せるのをサポートする最高の飲み物です!」

でした。
(こんなイメージの文章です)

思わず二度見してしまいました。

そんな情報にこれまで一度も、
触れることがありませんでしたので、
まさかという思いでした。

しかも緑茶が良いというではありませんか。

「マジかいな……」

思わず汚い言葉を使ってしまうほど、
内心驚いていました。

緑茶といえば、古来日本の家庭で、
毎日のように飲まれていた、

「ザ・普通の飲み物」

ではありませんか。

私が実家で暮らしていた時も、
朝起きたら、まずは緑茶を一杯。
食後に緑茶を一杯。
おやつの時間に緑茶を一杯。
夜帰ってきたらまずは緑茶を一杯。
食後に一杯。
という具合に、
毎日何の疑問もなく緑茶を飲み続けていました。

それがじつは油の吸収を抑えたり、
脂肪を燃えやすくしたりするらしいのです。

確かに言われてみれば、
緑茶ではありませんが、
中国料理を食べるときは烏龍茶を飲むべし、
などと言われていたことを思い出します。

「なるほど。お茶にはそんなに力があったのか……」

私は本棚の前で、思わず天を見上げました。

私としたことが……。

実家にいた頃は、
あんなに毎日緑茶漬けの日々を送っていたのに、
今や、緑茶はまったく飲まず、
ひたすら毎日コーヒーを飲んでいました。

朝起きたら、まずはコーヒーを一杯。
食後にコーヒーを一杯。
おやつの時間にコーヒーを一杯。
そして、
夜帰ってきたら、お酒にチェンジ……。

おおお……なるほど……

そこにも罠があったのですね。

まったく知りませんでした。

なぜこれまで緑茶を飲まなかったのか、
この文章を読んですぐに、
私は自分を叱りたい気分になりました。

何しろ緑茶が身近にないわけではなかったからです。

棚には実家からもらったり、
実家じゃないところから頂いたりした、
緑茶の缶たちがゴロゴロありますし、
冷凍庫にだって、
カチンコチンに冷えたお茶の缶が入っています。

冷凍庫で保存しておくと良いと、
誰かから聞いたからですが、
いったいいつのお茶かは考えたくもありません。
とにかくお茶が入っているのです。

このように、私の周りは、
いつだって緑茶を飲める環境に、
整っていたのです。

それなのに、緑茶を飲まずに、
お腹の脂肪と戦っていたという体たらく。

私はすぐに反省し、本屋を駆け出しました。

その日の打ち合わせには、
もちろん緑茶で臨みます。
冷たいお茶は好みではありませんが、
贅沢を言っていられません。

すべてを終えて、家に戻ると、
私はまず、戸棚の緑茶の缶を引っ張り出し、
急須を探し、見つけ、
お茶を淹れて、すぐに飲みました。

「はぁ……美味しい」

慣れ親しんだ味が、
口の中にふわりと広がりました。
実家で飲んでいた緑茶。
(品種は違いますが……)

母親がいつも淹れてくれていた緑茶。
思い出が蘇ってきます。
ということはあまりなく、
自然と飲みながらお腹をさすっていました。

「脂肪よ、なくなれ〜」と。

嫌いな味なら飲みたくありませんが、
何しろ緑茶は美味しいのですから、
もう決まりです。

もちろんその日から、
毎日お茶を飲んでいるのは、
言うまでもありません。

その日から一気にお茶党に変身です。

いや、正直に言うと、
コーヒーも飲んでいます。
コーヒーの方が格上げといいますか、
気持ち的には、

緑茶はひたすら飲む。(脂肪消滅のため)
コーヒーは気分転換に飲む。(優雅になりたいため)

といった具合です。

ここに、眠気をひたすら取るために、
浴びるように両方飲む、
という状況があることも書いておきます。

とはいえ、緑茶って、
こうしてまた飲み始めてみると、
本当に、ホッとする美味しさですね。

皆さんもぜひ。
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先日、ダイワボウ情報システム様が発売されている、
クラウド管理型ネットワーク
「Cisco Meraki」
の製品解説のマンガのシナリオを書かせてもらいました。

こちらから読めます。
(pdfが開きます)


いつもの単行本のようなボリュームではなく、
サクッと読めてしまう数ページのマンガですので、
ぜひご覧くださいませ。

キャラクターで遊ばせてもらいましたので、
とても楽しく書くことができました。

このような製品は今回初めて知りましたが、
いやぁ、世の中はこんなに便利になっていたんですねぇ。

スマホを持っているだけで、
その電波を拾ってデータを自動で取得できるなんて、
お店はもちろん、人が集まるイベントなどで、
相当威力を発揮する製品だと思います。

こういうのを知るとますます思うのが、
何かが発するデータを自動で取り組み、
それを分析してより良い暮らしにつなげる世界が、
もう当然となる次世代になるのかなぁということです。

例えば、
人間が発している呼吸や気、心拍音などの、
目に見えない様々なデータや、
動物や植物などの同様のデータなども、
そのすべてが空中を飛び交い、
それをどこかのサーバーに溜め込んで、
解析をしていき、
その解析値をどこかへ返す、そんな世界。

これまで誰も獲得することができなかった、
インナーデータを獲得できる貴重な世界とも言えますね。
もうすでに、
あらゆるUIから、
形のない好奇心や頭の中の考えが、
クリック傾向やクリック数などによって、
形あるデータへ変換され、蓄積されていますが。

そうなると、
ポストイットみたいな、
新たな概念のセキュリティも出たりするのかなとか、
そんな空想をするのも楽しいこの頃です。
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村上春樹が走ることについて、
詳しく語っている本を出していましたが、
私もそれに倣って、
というか、もう少し簡単に、
いや、もっと大幅に簡単に、
似たようなことを書きたいと思います。

それは……

「筋トレと書くことは同じである」

ということです。

いきなり何を言い始めたのかと思った皆さん、
そう思った皆さんは、正しいと思います。

私もいきなり何を書こうとしているのか、
そう思いながら、これを書いています。

でも、書かずにはいられなかったのです。
(いや、これ以外にネタが思い浮かばなかったのです……)

まあ、それは置いといて。

ここ最近、またまた体を作る時期に入ってきまして、
食事を変えたり、運動を増やしたり、
筋トレを増やしたりしているのですが、
そういう日々を重ねるごとに、

「いやぁ、筋トレって書くことと同じだなぁ」

と心底思うのです。

何が同じかと言いますと、
まず言えるのが、

「筋肉は1日してならず」

です。

皆さんの頭の中にはすぐにあの有名な、
「ローマは1日にしてならず」
という言葉が浮かんできたと思いますが、
そう、まさにそれです。

筋トレを始めるときに毎度思うのですが、
「今日やったら明日には大胸筋バキバキにならないかな」
と思うのです。
最初の頃はもうほとんど毎回思うのです。

しかし悲しいかな、いやじつは喜ばしいことかもしれませんが、
筋肉は1日ごときではまったく変わってはくれません。

もちろん、筋トレをした直後は、
筋肉が膨れ上がって、
さっきよりは大きくなっています。

鏡を見て、喜んでしまう瞬間です。
だから筋トレをしている人は、
やたらに鏡を見たがるのです。

しかし、大変残念なことに、
次の日にはたいていしぼんでいます。

筋トレを本当にやったのかと思うほどに、
筋肉は落ち着きを取り戻し、
澄ました顔で、いつものように、
そこに佇んでいます。

ここで諦めてしまえば、ローマを作れません。

それでも諦めずに、毎日毎日、
地道に筋トレをしていく。

しっかり栄養を取り、
自分を追い込んでいく。

もちろん、鏡を見て、
自分を愛でるのも忘れてはいけません。
胸をさする、上腕二頭筋にこぶしを作るなど、
マッチョをイメージして、鏡の前に立ちます。

そうしてひと月も経ってくると、
じつは結構肉体は変化してきます。

周りからも、会うたびに、
「あれ? ちょっと大きくなった?」
など言われるようになります。

自分でも少しずつですが、
胸回り、肩周りが大きくなってきていることに、
鏡を見ることで気づいてきます。

この頃になると、
やたらとTシャツを着たがるようにもなります。
しかも体にぴったりとしたものをです。

それは体が変わってきている印です。
これを実感できると、
ようやく筋トレが楽しくなってきます。
(人って実感しないと成長しないものですね)

これを続けて3ヶ月にもなれば、
一目で変わったことがわかるようになります。
ここまでくると、
もはや別人と言ってもいい状態にまで変わっています。

これはまさに書くことと同じです。

書き始めた頃は、自分の文章の下手さ加減に、
発狂してしまいそうなほどですが、
それでもめげずにとにかく書いていくと、
次第に変化していくことがわかってきます。

とにかく書く。
質より量を書く。
毎日書く。

これを続けているうちに、
さすがに3ヶ月くらいでは難しいかもしれませんが、
一年もすれば、
最初の頃に比べて、
格段に文章の質が上がっていることを、
自分の書くスピードと、
読み返した時の直しの少なさあたりで、
確認できるようになると思います。

頭で考えたことを、
同じように文章に書いていけるということです。

これはまさに筋肉と同じですよね。

毎日やり続けていれば、
筋肉は着実に増えてくれ、
文章は着実に上手になってくれるのです。

ただし、その動きを止めてしまうと、
その落下速度も半端じゃありません。

飲み会が続いた……
疲れた……
めんどくさい……

などで、筋トレを辞めてしまうと、
筋肉の別れ足のなんと早いことか。

ついこないだまで、
一番近くで仲良く愛してくれていたのに、
ふと気づいたら、もう去ってしまっているのです……

戻ってもらうには、また一から、
愛して丁寧に育て上げるしかないのです。

「ん? 愛す……」

あ、筋トレは、文章だけでなく、
恋愛とも一緒だということに、今、
気づきました。

皆さん、丁寧に筋肉を愛し、
文章を書き、
愛する人との関係を続けていきましょう。
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だいぶ前の話ですが、
大正製薬様が発売されている、
大正漢方胃腸薬に関するPRストーリー
「Tokyo 胃もたれストーリー」の物語を、
書かせていただきました。

〜「胃もたれあるある」にまんまと直面しがちな二人の男女を描いた物語〜

イラストは、サラリーマン山崎シゲルで有名な田中光さん。

自分が書いた物語に田中さんのイラストがつくなんて、
とても光栄で、感動しました。

人を笑かす芸人さんであるだけに、
少しズレた世界観を作り上げていて、
いつも笑いながら楽しく読ませてもらっています。

それにしてもこの胃もたれ。

多くの方が経験していると思うのですが、
大正製薬様が実施されたアンケートを拝見して、
あまりにも「あるある!」と思うことが多く、
読みながら大笑いでした。

どのようなあるあるがあるかは、
物語にたくさん入れ込みましたので、
ぜひ「Tokyo 胃もたれストーリー」をお読みくださいませ。

それでも皆さん、美味しいものを前にしたり、
楽しいお酒が広がると、
「つい」食べたり飲んだりしてしまうんですよね。ふふふ。

そしてここでさらに思ったのが、
その「つい」があるのが人間なんだ、ということですね。

よく、「弱みを見せると他人は愛着が湧く」
なんていう言葉がありますが、
これもこの「つい」に似たような感覚なのかなと、
思ったりします。

完璧ではどうにも近寄りがたい。
どこからも落としようのない鉄壁の守り。
そう思えていた時に、
「つい」見えた弱みやほころび。

それが愛着をもたらすのですかねぇ。

本当は我慢しなきゃいけないのに、
「つい」食べてしまう、なんとも言えない、
この逆らえない感じの弱さと言いますか、
「……ごめんなさい……」
という感じ。

落語の「芝浜」でも、
そんな人が描かれていますよね。

それでもやはり、
孤高に戦っている人の美しさには惹かれるものがあります。

皆さんはいかがでしょうか。
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私が栃木県足利市にゆかりのあることから、
現在両毛地区で最大の地域メディア(45,000部の月刊誌)である、
「渡良瀬通信」の5月号の読者プレゼント欄に、
ありがたいことに小さく取り上げていただきました。

渡良瀬川通信さんのサイトによれば、
渡良瀬通信は、

ーーーー
群馬と栃木の県境を流れる渡良瀬川。
わが国を代表する大河利根川の支流で、
渡良瀬川沿川には80万人を超える人々が
生活を営みます。

しかしその日常は、
県境というカベをいとも簡単に、
自由にとび越え、
交流の深い群馬・栃木地区なのに、
意外と情報は共有されていないのが現実です。

『渡良瀬通信』は、この地域の唯一の情報誌として、
小さいながらも皆様の力になれる地域誌を目指します。
ーーーー

とのことです。
地元の皆さまに愛される情報誌として、
現在多くの読者の皆さまに読まれている冊子です。


渡良瀬川といえば、私にとっての思い出は、
夏の宵闇に流れる灯籠と、
ひとつ高いところにいるお坊さんたちですね。

親たちに連れられて河川敷にやってくると、
いつもはただの川に、
ほのかな優しい灯りの灯ったたくさんの灯籠が、
ゆっくりと流れ、とても美しかったことを記憶しています。

岸では、お祭りの櫓のようなものがいくつか建てられ、
その上でお坊さんたちが筆で灯籠に文字を書いていました。

人々はその灯籠を手に取り、
川辺まで行き、静かに川面へ置いて、
奥へ押しやりました。

その夜は子供ながらに、
とても不思議で穏やかな空間でした。

生きている人とあの世に逝ってしまった人が、
なんだか穏やかに交流しているような、
こちら側とあちら側の世界がじんわり交わっているような、
そんな不思議な気持ちを味わっていたように思います。

もちろん当時は子供なので、
そんな少し高尚な感覚ばかりを楽しんでいたわけではなく、
帰りに寄るもんじゃ焼きを楽しみにしていた記憶が、
あの鉄板から湧き上がる湯気とともに、
今、パッと浮かんできました。

美味しかったなぁ、あのもんじゃ焼き。

もんじゃ焼きを初めて知ったのはこのときでした。

大人になってからは、月島ばかりに行っていますが、
あの頃足利にもんじゃ焼き屋がすでにあったんだなと、
今改めて驚いている次第です。

もんじゃ焼きって東京の下町の食べ物とばかり思っていました。
今、wikiをサクッと見てみると、
東京下町のローカルフードって歴史があるものの、
なんと、群馬や足利でも昔からあったような記述が……。

なるほど、だから足利にあの頃からあったんですね。

もんじゃ焼き……。

今日はもんじゃ焼きにしようかな。

みなさま、
そんな美しい渡良瀬川の周りに広がる、
素敵な町々の楽しい情報満載の、
渡良瀬通信をぜひ楽しんでくださいませ。




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