危機管理は、まさに自身の哲学が反映されるものである。

というのを、今回のコロナウイルスの日本での広がりを見ていて、
つくづく思います。

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言い換えれば、
見えないものや、まだ起きていないことに対する見通しや備えについて、
どれだけ「自分ごととして捉える」ことができるか、ということです。

「まだ感染者が武漢だけだからまったく対岸の火事だ」
と思うか、
「武漢は日本との交流がとても多いはずだから、まずいな。でも、まだどんなウイルスかもわからないし、まあ大丈夫だろう」
と思うか、
「これはSARSの時と似ている。後々一気に広がり始めるな。でも、まあ面倒だし、対策はしなくてもいか」
と思うか、
「これはSARSの時と似ているから、間違いなく世界中で流行する。だから、できる対策はしておこう。まあ無駄になっても、後悔するよりはいいだろう」
と思うか。

パッとあげただけでも、上の4つのような意識と行動が推測できます。
皆さんなら、どうしますか?

正直、私は、
「また新手のウイルス出たのか。正確な情報がわかるまではとりあえず手洗いとうがいはいつも以上にやっておくか」
ぐらいの反応でした。

もちろんマスクは買わないし(普通のマスクぐらいではウイルスに対する効果をあまり信じていません)、人混みもさほど避けていませんでした。

でも、時が経つに連れて、事態が刻々と変化していきます。
当局が発表する数字は、これまでの推測からは大きく外れていきますし、世界中で感染者がじわりじわりと増えている感触が高まってきます。

「むむ……どうやらこれは怪しい。SARSよりマズいウイルスかもしれない。発表される数字がどんどん増えてきているぞ」

さらには、インターネット時代の恩恵で市民が現地の生の情報を世界に発信できることから、政府の発表と現地の手応えが違う感じが出てきているぞということを色々なツールから窺い知ることができるようになってきました。

さて、そこでどうするかが問題です。

まさにそれこそが、哲学です。

私は、人混みをできるだけ避け、アルコール手洗いを強化し、できるかぎり意識して、公の物に触った後に、鼻や目、口を触らないようにするようにしました。(今も継続中です)

要は、自分の中の警戒警報を強め、それを実行することにしました。

この辺りで、人によって行動に差が出てきますよね。
つまり、それぞれの哲学によって、行動が変わってくるということです。

「そうは言ってもどうせそんなに広がらないでしょ」
と思う人もいれば、
「広がったって、これまで自分はSARSも罹患してないし、今回も大丈夫だと思うからあまり気にしなくてもいいでしょ」
と言う人もいると思います。

でももし実際に罹患してしまったらどう思うのか……?

「あぁ、あの時、アルコール消毒しとけば……」
と後悔する人もいるでしょうし、それでも、
「まあ、罹患してしまったものはしょうがない。でも人に伝染してないといいんだが……」
と言う人もいるでしょう。
(伝染性はこの「気付かずに誰かに迷惑をかける」ことが怖いのですが……)

問題は、自分の行動に対して、
後々ぶつくさと文句をいうのはいかがなものか、ということなんです。
文句を言うぐらいなら、文句を言わないような考え方と行動をすればいいのではないかと。

冒頭の話で言えば、

「現在はまだ見えていないけど、未来にもしかしたら起こるかもしれない事態」

のために、

「現在、どういう行動を取るか」

は、何に依存しているかといえば、もうそれは、

「自分の哲学」

でしかないと思うんですよ。

「世間ではこう言っていたから、大丈夫だと思ったのに!」

ではなく、
世間でどう言おうが、自分なりに情報を取得して、
それに対して考えて、自分で納得して、実行する。
それが自分の哲学に沿って行動することですよね。

そうしておけば、
もし実行した結果、それが間違っていても、正しくても、
自分なりの評価軸で動いたわけですから、文句も出ないと。

つまりこれが「自分ごととして捉えていく」ことの大切さだと思うんです。

「自分ごと」として捉えられれば、
間違っていても、反省して改善すればいいですし、
正しければ、少しは喜んでそこからさらにグレードアップしていけばいいですよね。

そういう「自分ごと」で考える癖をつけておかないと、
こういったときに、
SNSでただひたすらに誰かの対応の悪さなどに不満をぶつけるしかなくなる、
といった不毛な行動につながってしまうんですよ。
誰かのせいにしたって、自分の人生は変わらないです。
自分の人生は自分で変えるしかありません。

先日、久々に、伊坂幸太郎の魔王とモダンタイムスを読み返し、
あるセリフにまた再会し、
改めて、自分の生き方を見直すきっかけをもらいました。
そのセリフというのが、

「勇気はあるか?」
「人生は要約できない」
「めくれたスカートを直すために」

理想と現実は違いますよ、もちろん。

でも現実にただ喰われるのは、なんかちょっとシャクじゃないですか。
それならば、心の中に灯台を作り、どんな天候でも、まっすぐ行き先を照らして、
その光の先へ向かって、ただただ歩んでいく。誰に知られずとも。

心の中にそういうのがあると、
人生を生き抜く上で、大きな支えになるのではないかなって思っています。

それがあれば、こういう危機の時も、
なんとか乗り越えられると思っています。

なので、あまり過敏に反応せずに、
色々な情報を自分なりに考えて、予防予防という意識で、
みんなでこのコロナウイルス危難を乗り越えていきましょう!

それと、こういう素敵な言葉に出会えるのは、
小説の大いなる魅力の一つですよね。